「みんなと同じでいい」が口癖の人の心理

みんなと同じでいい…が口癖の人

友だちとレストランに入り食事を注文するとき、みんなに「何にする?」と尋ねると、毎回「みんなと同じでいい」と言う人がいますよね。話し合いの場で、「何か意見はありますか?」と聞いたとき、いつも「みなさんと同じ意見です」「◯◯さんと同じです」と答える人もいます。

自分が食べたいと思っていたものが、たまたまみんなと同じだった?

自分の意見が、たまたま今回もみんなと同じだった?

それであれば何も問題はありませんが、中にはそうではない人がいます。

自分の本心とは違ったとしても他人の意見に合わせてしまうこの手のタイプの人を、心理学では「自己収縮的依存型」と呼びます。

このようなタイプの人は、協調性があって周囲との和を大切にするので人間関係は比較的うまくいきやすいのですが、裏を返せばすべて他人任せである点がマイナスです。

なぜかというと、物事がうまくいかなかったときにも原因を他人に求めることがあるからです。悪い結果が出ても、「それは自分が選んだわけではない」という発想が根底にあり、最後の最後で責任を取ることができません。

控えめで協調性がある、しかし無責任な面が顔を出すと厄介……このような他人任せにしてしまう人の心理・性格はどのように形成されていくのでしょうか?

人と同じであることは良いことか、悪いことか

人と同じであることは良いことでしょうか?悪いことでしょうか?

もちろん、一概には言えません。

国によってベースとなる考え方の違いはあるかもしれませんが、それより何より、人と同じがいいか違うのがいいかというのは、時と場合によって異なるもので、みんな使い分けているものです。

ですから、いついかなるときも「人と同じ」にしてしまう人は、極端なタイプと言って良いでしょう。そして、それには何かしら原因があってそうなったのだと考えるのが普通です。

子供の頃からの教育の影響?

「みんなと同じでいい」現象を引き起こしているのは、ゆとり教育だ。と思う人もいるかもしれません。

確かに、みんな平等、運動会も手を繋いでゴール、学芸会は全員主役というような狂気とも思える環境で育ったのなら極端な考え方が身につきそうです。

しかし、全員が全員そうなるわけではありません。むしろダラしない先輩社会人に比べたら遥かに立派な若者がゆとり世代には数多くいます。

問題は学校の環境、と断言するのは無理がありそうです。

周囲に合わせておいたほうが無難な状況とは?

学校がどうこうよりも、「周囲に合わせたほうが良い」という状況に数多く接してしまうことです。

例えば、ランドセルの色など人と違うものを選んだせいで集団の中で目立ってしまい、バカにされた、いじめられた。会議や話し合いの場で、少数派の意見を発表をしたら激しく非難された。

家でテレビを見ているときに、一般世論とはまるで反対の意見を言ったら親に怒られた。「スマホが欲しい、友だちの家に泊まりに行きたい、留学したい」などと言ったら、みんな持ってないからダメとか、まだ早いなどと言われた。

平均からズレた行動をしたときに周囲から攻撃され、心が傷つくと、人は無難な選択をするようになっていきます。こうしたことは精神が成熟した大人でも起きることですから、子ども時代に強烈な経験をすると「みんなと同じでいいや」というところに収まってしまうのも無理もない話です。動物として、身を守るためにはまっとうな選択といえるでしょう。

筋の通った考え方

図画工作の時間は「個性が大事」と言っておきながら、校則を守らせようとするときは「みんなと同じ」を求めたり、みんなと同じを求められたかと思いきや、今度は試験やスポーツで「他人より秀でろ」と叱責される。

時と場合によるとはいえ、まだ心が安定しない幼少期にあっちこっちへ振り回されると何が正しいのかわからなくなってしまいます。

成熟した心を持つ大人になるためには、幼少期の教育が大切だというのは良く言われることです。ですが、何をどうすればいいのか、はっきりしない面があります。

その中でも特に大切なのは、思春期を迎え自分で判断する力がつく前は、「親が筋の通った考え方を伝え、行動を一貫させる」ことです。子どもの思考の基礎となる土台を作り、応用がきくようにしてあげる。

たとえ結果的に間違っていたとしてもいいのです。子どもは成長していく過程で、親に教えられたことと社会で言われることの違いを比較します。その都度、自分はどうするべきか自分で考えて行動していくこと、それができるようになれば何も問題はありません。

親が、一貫性のないフワフワした言動と行動をとっていると子どもは混乱し、思考が定まりません。何でもいいので、とにかく基準を作ることが何より大切なのです。

このようなタイプの人を、アメリカの心理学者カレン・ホーナイは追従型(自己収縮的依存型)と名付けました。自分の意見がないにも関わらず、あとで「本当はこっちのほうが良かったのに」などと愚痴を漏らすのはこのタイプです。

協調性があり、人の意見に従う

良い面としては、協調性があり、周囲の人との和を大切にするということがあります。あくまでも判断の基準は自分以外の人に求め、他人の期待や規則に従います。つまり世の中の常識や親の言うことに素直に従う人でもあります。

この場合も、従ったはいいけれど、うまく行かなかった場合、逆恨みするおそれがあります。

神経症的な性格分類

精神分析家であるカレン・ホーナイは、対人関係における距離のとり方から、神経症的な性格を以下の3タイプに分類しました。

自己主張型(自己拡大的支配型)

自分が優秀であることに誇りを持っていて、何かにつけて「自分が、自分が」と主張するタイプ。自慢話が多く、自己陶酔する完全主義者。自分が欲しいものに向かってアグレッシブに行動する面があります。

追従型(自己収縮的依存型)

自己主張をせず、なるべく目立たないように行動する。人に勝つことを好まず、みんなで同じであろうとする。協調性があり、周囲との和を大切にする。自分を過小評価しがちで、他人の評価に影響されやすい。

遊離型(自己制限的あきらめ型)

自分の人生に無関心で、他人との間に壁を作り、人と関わろうとしない。期待しても失望するだけだと、自分から積極的に何かをすることはしない。競争や成功を避ける。「どうせ」のような言葉が口癖。