性格の始まり。4つ体液からなるタイプ分け
現代人は当たり前に「性格はあるものだ」と思っており、自分や他人の性格と行動を結びつけて考えています(中には例外がいるかもしれませんが)。
自分は暗い性格でインドア派だ。あいつは明るい性格で友だちが多い。といったように、その人がどんな人なのかを判断するときに必ずといっていいほど性格という要素が出てきます。
しかし、性格は初めから人々に認識されていたわけではありません。
どこかの誰かが「性格はあります!」と言い出して、それを人々も認めているからこそ、性格は存在するのです。
では、一体どこの誰が性格を発見し、みんなも意識するようになっていったのでしょうか。
人類に初めて「性格」という概念を広めたのは誰?
古代ギリシアにテオプラストス(紀元前371~287)という学者がいました。この人は、植物学の祖として有名な人ですが、博物学、哲学、鉱物学などに加えて、人間についても分類したり研究していました。かの有名なアリストテレスとも仲が良かったようです。
彼が分類した人間の種類には、猫被り、粗野、つましさ、おせっかい、身勝手、尊大、毒舌などがありました。
人間って大きく分けるとこんなやつがいるよね、という「性格」を発表したのです。これが性格の誕生です。
一般庶民の中でも「Aさんは優しい、Bさんはすぐ怒る」とか、感覚としてはあったかもしれません。しかし、それが「性格」だとは誰も思っていなかったのです。学者がはっきりと記録に残して広めたことでみんなが性格というものを認識するようになりました。
みんながモヤモヤっと心の中に持っていた感覚を具現化した、という点でいえば、他人のアダ名をつけるのが上手い芸人さんのやったことと似ています。
元気の押し売り、とかおしゃべりクソ野郎とか、実際に誰かが言葉にすることはじめて認識できるものってありますよね。性格の分類もある種あれと一緒です。
テオプラトスのこの発見によって、人々の認識は大きく変わったことでしょう。
- 話しているとなんだか攻撃されている気がする……と感じさせる人は毒舌
- 困っているときは助かるんだけど、そうでないときもやたら絡んでくる人……おせっかい
- 相手によって態度を変えるやつ……猫かぶり
- 農作業や大工仕事など一緒に仕事するとうまくいかないやつ……身勝手
このように、性格を表す言葉が見つかったことで、他人がどのような人間かを判断しやすくなったのです。
現代人の我々からすると、これだけではまだまだ足りないように思われます。人間はもっと多用ですから、たかだか5、6タイプにしか分けられないはずがありません。
しかし、当時の人はそんなことも考えずに暮らすことが出来ていました。それはなぜでしょうか?
体液による4つの性格タイプ分け
人の性質をいくつかのタイプに分けて理解しようとする見方のことを類型論と呼びます。今でも使われるタイプ分けの性格診断ですが、はじまりは2世紀、ガレノス(西暦129~199年)という医学者が考えだしたと言われています。
こうした考え方のもとになったのが医聖と呼ばれるヒポクラテスの提唱した「体液病理説」です。ヒポクラテスは、先ほどのテオプラトスよりも古い人ですが、ガレノスが性格に結びつけることを思いついたのはテオプラトスよりもずっと後になります。
「体液病理説」では、まず人間は以下の4つの体液を持っていると考えます。
- 血液
- 粘液
- 黄胆汁
- 黒胆汁
この4つのバランスが保たれていると人は健康であり、崩れると病気になるという理論です。そして、ガレノスはこの体液を病気ではなくて、「人の性格に関係あるんじゃないの?」ということを言い出しました。
人によって4つの体液のバランスが違っていて、どれが多いかによって性格が決まる、と考えたのです。
- 多血質(血液が多い)……血液が多い人。陽気な性格
- 粘液質(粘液が多い)……粘り強くて冷静沈着な性格
- 胆汁質(黄胆汁が多い)……怒りっぽい性格
- 憂うつ質(黒胆汁が多い)……黒胆汁が多くて暗い性格
今でも「血の気が多い人」という表現は使われますし、本当かどうかはさておき納豆を食べると粘り強くなるという言われたりします。血圧が高い人は短気、血圧が低い人は覇気がなく控えめ……という印象を抱く人は少なくないでしょう。
なんとなく当たっていそうな感じもしますが、このような性格タイプ分け理論は忘れ去られてしまいます。多くの人の関心を集めなくなってしまったのです。
このタイミングで流行っていれば、我々は性格というものをもっと違った形で捉えるようになっていたかもしれません。