熱狂的なファンから生まれる心理のメカニズム

熱狂的なファンになる人の心理

アイドルグループやスポーツチームの活動を支えているのは、彼らを応援する(資金的な意味も含めて)熱狂的なファンによって支えられていますが、「何もそこまで……」と冷ややかな視線を送る人たちもいます。

一体、何が彼らを突き動かしているのでしょうか?

心理学的な見方で考えると、熱狂的なファンは自分と好きなグループ(や個人)を重ね合わせて強い思いれを抱き、まるで一心同体であるかのような錯覚を覚えているとみなすことができ、これを集団同一視といいます。

自分が所属している集団を実態以上に高く評価してしまう

自分が所属しているグループに対して強い愛情を抱いて重ね合わせ、同一視することでどんどんのめり込んでいくのが集団同一視ですが、その最たる例が高度経済成長期のサラリーマンです。

人は自分を大事にしてくれる存在を好きになります。高度経済成長期の会社は終身雇用を保証してくれましたし、給料も年功序列で毎年上がる、頑張れば昇給するしボーナスだって出ます。福利厚生も充実していて、家族のように扱ってくれました。

会社に尽くしていれば、当時としては十分な見返りが期待できたのです。

そうすれば、そこで働くサラリーマンは会社に対して依存感情を抱き、それは徐々に愛情に変わる。会社の哲学、ルールを受け入れ、「会社=自分」と認識するようになると会社に尽くすことは喜びにもなります。そして、その集団を実際以上に高く評価するようになるのも特徴です。そうなると益々頑張るようになります。

従順な社員はこのようにして作られていくのです。

昔の会社=アイドルグループ、スポーツチーム、宗教団体

これと同じことが、アイドルグループやスポーツチームの熱狂的なファンにも起きているのです。

ファンはただ応援したりグッズを買うだけでなく、握手会や総選挙への投票、ファン感謝祭などで選手やアイドルと触れ合っていくうちに、自分も集団の一員だと認識するようになり、一緒に盛り上げて行こうという気持ちはどんどん大きくなります。

その集団のファンであることを誇りに思い、それが自分のアイデンティティ(自分が自分であるという認識、そのために必要な要素)として確立されていきます。

応援しているアイドルの人気が出て売れてくると「あの娘は自分が育てたんだ」と錯覚したり、贔屓のチームが負けると自分のことのように悔しがったり優勝すれば泣くほど感動したり。ひどくなると、ケンカが起きたり警察沙汰の殺傷事件に発展することもあります。

集団同一視は誰にでも起きる

人は、何らかの集団に所属しています。そして、その集団をアイデンティティの拠り所とするため、さまざまな場面で集団同一視は見られます。

自分は会社人間ではないし、野球ファンでもアイドルファンでもない、という人でも故郷から有名人が輩出されると、なんとなく誇らしい気持ちになるのではないでしょうか?

同じグループに優秀な人がいるとき、グループ外の人に対して優越感を覚えるのも、集団同一視のひとつ。要は◯◯派というやつです。これが極端になってケンカが起きてしまいます。

Apple(アップル)のiPhoneやMacを使っている人が、他者の製品を使っている人に対して密かに優越感を抱いていたりするのも典型的な例でしょう。他にも、関西と関東、目玉焼きのしょうゆ派とソース派、主食はごはん派かパン派か、インドア派かアウトドア派など小さな例はたくさんあります。

どんなことでも、大なり小なり人は集団に属しているという意識を持つものです。集団同一視によって生きがいを見出したり頑張れるのであればおおいにけっこうですが、極端になりすぎると争いの種になるので注意が必要です。