写真を撮られるのが嫌いな人の心理

写真を撮られるのが嫌いな人は、恥ずかしがり屋で自意識過剰気味、レッテルを貼られることが嫌いな人です。

撮影された写真は、自分がいないところで見られる可能性があります。写真嫌いの人は、そこで第三者がその場にいない自分の性格や見た目、服のセンスなどを勝手に解釈すること不快感を覚えるのです。

人は、誰かの写真を見たら、何かを思わずにはいられません。「ちょっと性格がきつそうだな」「美人だな」「服のセンスが良いな」「誰々に似ているな」

悪気がなくても、いろいろと想像してしまいます。

写真嫌いな人は、そのことがたまらなく嫌なのです。

ですから、写真嫌いな人は、いかにして写真に映らないようにするか必死になって考えています。

写真好きは写真を撮りたい。写真嫌いは撮られたくない。このせめぎあいを平和に解決する方法はあるのでしょうか?

写真は量によって印象が変わってしまう?

写真嫌いの人が神経質になってしまう問題。原因のひとつは「写真の枚数による重みの違い」です。

写真が少なければ少ないほど、1枚の重みは増します。逆に多ければ多いほど1枚1枚はさほど重要ではなくなります。

たとえば「紅葉を見に行った」と言うおじさんが何百枚もの写真を見せてきたら、1枚1枚じっくり見ないでしょう。逆に1枚だけイチョウの枯れ葉を見せられたら、そこには何かメッセージがあるのではないかと想像してしまいます。

これは人間の写真に関しても言えることです。芸能人と一般人で比較してみるとよくわかります。

有名人は大量に撮られるから平気

有名人(政治家、芸能人、スポーツ選手など)は、日々大量に写真撮影されます。

良い瞬間のときもあれば、変な顔になってるところや恥ずかしいシーンを撮られてしまうこともあるでしょう。しかし、ある程度は仕方がないものとして割り切っているはずです。

悪い写真よりも良い写真を効果的に使うほうに意識を向けるほうがはるかに大切だからです。そう思わないとやっていられません。

それに、多少変な写真があったところでそれは使われないでしょうし、万が一写真週刊誌で悪用されてもそれは一部であり、時間が経てば忘れ去られてしまいます。

悲劇の一枚が生まれる確率が高いのが一般人

ところが、一般人だとそうはいきません。写真の絶対量が少ないので、1枚1枚の重要度が高くなります。変顔で写るわけにはいかないのです。

たとえば修学旅行の集合写真で目を瞑った状態で写っていたら、旅の思い出が台無しです。おまけにいつまでもネタにされます。

それをネタとして笑いに変えられる人はいいでしょうが、全員がそうではありません。そもそもネタにできる人は芸能人の素質があります。

問題は、たった1枚の写真で「何かを想像される恐怖」に耐えられない人間です。

思い出に残したいカメラマンと、思い出はいらない写真嫌い

写真を撮るのが好きな人は、写真を撮ることで思い出を残したいと思っています。

記録に残すことで、あとで振り返り、懐かしむことができます。

そのためには風景だけを撮るのでは物足りず、どうしても人物を撮りたくなります。その場にいた人が写っていて初めて、「思い出の写真」が完成するのです。

しかし、写真嫌い人間は「そんなものは不要だ」と考えます。

彼らにしてみれば、思い出を大切にするかどうかという問題は、写真のあるなしとは関係ないからです。

このギャップを解消するにはどうすればよいのでしょうか??

撮られる側は「鈍感になるように務める」こと。撮る側は「相手に対して敬意を払う」ことがポイントになります。

撮られる側の対策。実はそんなに気にしていないと知ること

写真嫌いの人に知っておいてほしいのは、「他人はあなたのことはそこまで気にしていない」ということです。

自分の知らないところで写真を見られる不快感はわかります。でも、みんなそんなに夢中であなたを見ていないのです。

ちょっと変な顔だろうが、髪型がおかしかろうが、服がダサかろうが、1分後には忘れています。

あれこれと勝手な想像を膨らませるのはほんの一部の人間だけですし、その人たちですら、あなたという1人の人間にいつまでも付き合っている暇はないのです。それが親でも親戚、恋人でも変わりません。

あなたの写真をポスターにして部屋に飾り、毎日思いにふけるような変わり者はいないのです。

撮る側の対策。写真を撮る前に、許可を取らないければならない

世の思い出づくりカメラマンたちは、「人を勝手に撮ることは犯罪だ」と認識すべきでしょう。

たとえ相手が家族だろうが恋人だろうが、相手の許可なしに写真を撮ってはいけないのです。

何も言わずに勝手に写真を取ることは、土足で他人の家に入り込んで家財を物色しているようなものです。

嫌がる人を写真に収めるには、まずは相手を口説き落さなければなりません。

いくら写真嫌いの人でも、たんなる集合写真なら受け入れてくれる可能性は高いです。子供の頃から学校行事等で慣れているからです。

しかし、「一人で写る写真」や「何気ない一瞬」的なものはかなり嫌がられるでしょう。恥ずかしがり屋でかつ、自意識が高いタイプの人にとって、あとで見られたくない種類の写真の典型です。