やたらネット上の書き込みが多い人の心理
ネット上でやたら書き込みをする人は、現実世界の人間関係は苦手だけれど、それでも誰かと親しくしていたいという気持ちを抱えています。
自分の本当の気持ちと現実世界での行動の間にある矛盾を解消したいという思いから、インターネット上での書き込みが増えるのです。
なんの見返りもないのに親切にするのはなぜ?
かつて大学入試の試験中にインターネットの質問サイト(ヤフー知恵袋などのこと)を使ってカンニングをするという事件がありました。試験問題を携帯電話から質問サイトに投稿して正解を教えてもらっていたのです。
教えてもらった側は確信犯でしょうけども、教えた側はまさかそれが入試問題とは思っていなかったでしょう。
この例が示しているのは、「人は無償で情報を提供するものだ」ということです。
ブログのコメント欄や匿名掲示板、商品へビューへの書き込みは無限に増え続けており、そこでは多くの人たちが自分の時間と労力を費やしています。
何の見返りもないにも関わらず、彼らはなぜ書き込みをするのでしょうか。
親切心?自慢?ネットの中で自己顕示欲を満たす
ネット上に書き込みをしている人たちの心理のパターンは、以下のようなものが考えられます。
- 「知っていることを教えたい」という純粋な親切心から(実生活で親切をする相手がいない)
- 専門的な知識を披露して優越感を満たしたい(周囲に専門的な話で盛り上がれる人がいない)
- 人生相談のような質問に対して自分の人生論を語りたい(文豪やエッセイストにでもなったつもり)
人間には承認欲求という共通した欲があり、放っておくと誰かに褒められたいがために、親切なことをするものです。ネット上の書き込みの多くはこの心理からきています。
コミュニティ内での地位を築きたい
地位や名誉を得たいというのもまた共通の欲求です。
活溌に書き込みをする人は、サイトや掲示板の常連が多く、そこに集まる人たち(ほとんど書き込みはせず閲覧する)によって一種のコミュニティになっている点は見逃せなません。
彼らは仮想のコミュニティの中で文字を介したやり取りを楽しみ、自分の存在をアピールしたいという欲求を満たすことができるのです。
実際の人間関係は苦手でも、誰かと親しくありたいという矛盾を抱えている人たちが、欲求不満を解消するためには、SNSや掲示板といったインターネットのコミュニティは格好の場となっています。
ハマると怖いメリットとデメリット
ネット上のコミュニティのメリットは以下の3点が重要です。
- 参加も不参加も自由で気楽
- 現実とは別の人格になることも可能
- 匿名性が高い(完全ではない)
この3つは現実世界における対面式のコミュニケーションにはないものです。
ネットの中のほうが現実より居心地がいいと感じる人は多く、そういった人がインターネットのコミュニケーションにハマっていきます。
気をつけなければいけないのは、ネット上でやり取りしているのはネット上が居心地がいいと思っている人がほとんどであるということ。現実世界もネット世界も柔軟に行き来している人がいたとしても、その人は2つの顔を使い分けていること。
意識して気をつけていないと、視野が狭く低くなってしまいます。いくらネットの世界が当たり前になり拡大していっても完全にリアルの現実世界を飲み込んでしまうほどではありません。
責任がない状況での人の振る舞い
はっきりとした証拠が残らず、責任を追求される恐れがないという状況だと、人は攻撃的になる場合があることが実験により明らかになっています。匿名性が故のネット上のトラブルは、まさにこの典型例です。
「荒らし」と呼ばれる悪意のある書き込みは後を断ちません。過度に人をとがめたり罵ったりするのも、匿名性であればこそ。攻撃する側はいくらひどい言葉を浴びせてたとしても、最終的に自分にはなんの被害もないことがわかっているので気楽なものです。
自分は強い。批判されても大丈夫、とは思わない方が良い
攻撃される側は激しい非難の言葉をまともに受けて、心が病んでしまうことがあります。自分は強いから大丈夫とは思わない方が良いでしょう。
ネットで攻撃されたところで実害はほぼありません。にも関わらず、攻撃された側は過剰に反応してしまいます。
自分はおおらかだから、鈍いから、タフだから、心臓が強いから、と思っている人に限って悪意のある書き込みに参って病んでしまうものです。慣れれば大丈夫、という問題でもありません。
こうした精神的な問題は、そのとき、その瞬間の状況や健康状態にも左右されるものです。
反感を買いそうな内容をブログやSNSに投稿をする場合、攻撃されるリスクをよく考えなければいけません。そもそも、「人に反感を買うような意見をわざわざネット上に書き込む意味があるのか」、ということを落ちついて考えてみましょう。多分、ないはずです。
あなたが思いついた、ほんのちょっとだけ攻撃的な意見は、すでに誰かが思いついて発信したことがあるはずですし、今となってはみんなそれほど関心がないものです。気づかれたとしても、それは「叩くのが専門」と自負する哀れな人たちだけ。面白半分でちょっとつつかれて終わりでしょう。
不毛なやり取りに時間を奪われるのは、人生の大切な時間をムダにする行為です。